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24年7月8日
- 「皆と一緒に行きたい小笠原」
今回も小笠原は、父島に住む友人が、私達を歓迎してくれて、海に太鼓を持って行き、海水浴を楽しみながら太鼓を叩きました。
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子供たちも私たちもシーカヤックに乗り、沖の海へと、普段に無い楽しい日々を過ごしました。
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母島は、太鼓がいいし、かなり鋭い、切れのよい、何より楽しみながら叩いているようで、嬉しくなりました。
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変わらぬ素朴な島でした、と思いきや、やはり世界遺産となり、島民の方々は、何となく忙しそうで、いつかイベントではない普通の日程で遊びに行けばゆっくり交流ができるのでしょうか?
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ゆっくり酒を飲みながら叩きたいですね!!!
世界遺産の町は、ちょっと忙しい観光地になってました。
24年6月18日
- 「企画とは」
全てでは無いが、簡単に考えると、全ての企画は一つの物を創ると考えることが基本かと思います。
イベントのテーマソングやスローガンなどがあるのは、そのイベントが一つになりたいと企画する人が願うからかと思います。
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イベント全体を考えても、一つのプログラムを考えても同じで、ただし、同じ流れに無いプログラムであったり、場面が変わるなど、展開があれば、そこは細かく別れることになりますが、なるべく細かく別けない事が理想的かと思います。
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例えばステージで、回し打ちを5人で作りあげるとすれば、5人だけど、あくまで一人が叩いているように叩きあげれば、それこそが恥ずかしくないステージ演奏の企画作品となるでしょう。
ここで勘違いされると困るのですが、当然譜面などは無しだし、あくまでアドリブですよ!
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1番目の人は、誰もが行う叩き始める時の太鼓のみを演じます。
2番目、3番目の人はさらっと間奏を目立たないように叩きます。
4番目の人は盛り上がる手前の演奏、最後の人がノりやすいように演じます。
最後の人は、思いっつきり叩いて終わります。
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大事なことは替わる時に替わった様子を見せないこと、自分の役割のみを演じることと、、、、
24年6月17日
- 「もうすぐ小笠原」小笠原を前に、左手首を痛めてしまい、ロキソニンテープを張り、用心しています。
腱鞘炎なのか、小指側に手首を曲げると、ピリッと痛みます。
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小笠原に行くと初心に帰り、自然に叩く太鼓が叩けるようで、又、母島のおかえ太鼓に染まれるかな?
おかえおばさんはものすごく手首を使って叩きます。
「妙技を超え、心技と、、、」あの軽やかなさばきは、手首の柔らかなさばきが無ければ出来ないでしょう、本当に素晴らしいですよね。
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最近人に勧めているのは、さらっとノリながら体の力を抜いて、目線はあさってを見ながら叩くこと。
スタイルは気にしなくていいかな、自然な感じで力を抜いて叩くことがリズムキープをしやすいし、それからそれから、ノッて叩くといい音色が出るかな?
24年6月13日
- 「一瞬の力」を皆さんご存知ですか、一瞬の力とは、名の通り、人が一瞬にして出す力で、
これを覚えておくと何かと便利です。
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たとえば、開かないビン蓋を開ける時、息を吸って〜一瞬に力を入れて開けます。
すごく単純な話ですが、この一瞬に入れる力とは、100%を超える力になります。
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電動工具など無い時代、自動車修理を行う整備士が、車両のボルトやナットを回す時に使った技ですね、、、
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で、本題ですが、私のようにあまり力の無いものが、人と同じ音を出すためにどうすればいいかと考え、答えとしたのが一瞬の力と体重移動で出す力です。
瞬間に力を入れれば、いい音出せますよ。
24年5月25日
- 「久しぶりにバンビのおかえ太鼓を聴いてみた」
なぜ、八丈太鼓は、ぴたっと終わるようになったのか?
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超早いスピードで叩いていながら、ゆっくり終わるあの「おかえ太鼓」は、ものすごく繊細なゆとりある音楽に聴こえる。
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終わる時、聴いている人と顔を合わせ、「終わりますよ」と呼び掛けるように「あばよ〜い(さようなら)」と言いながら終わるあの感じは絶妙!!!
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何だか言い表せない、バチさばきと腰使いは、それが音楽の基本のような、原点のような気がするし、あえて唄を入れる場所を作らないで、どこでもかまわず唄を入れる感じとか、自然な感じがして、音楽を演奏したいから叩く、唄いたいから唄う、自分がノッて叩きたいから叩くとでも言おうか?
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そんな感じの無駄の無いバチさばきがかっこいい!!!
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だからスタイルなんて気にしないで、回し打ちをやっていると楽しい。それが島らしいと思う。
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ぶっ叩く太鼓も、よーらに叩く太鼓も八丈太鼓だけれど、やっぱり、酔ってハンケショイになる八丈太鼓が一番の八丈太鼓かな?
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やはり時代の変わりで、どんどん勇ましくなっていくの?
日本の和の世界は、もっと笛やツヅミや三味線などが、強いところがあれど、もっと繊細な楽器ではなかろうか?
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やっぱり八丈太鼓は、ただの太鼓ではなくて、音楽でありたいし、ソロであったり、回し打ちは、セッションのように掛け合う感じでもあるし、音楽であり和太鼓なんだよね、この気持ち、わかってもらえるだろうか?
24年3月30日
- 「いつも勉強してます」
教えているようで、いつも勉強になります。
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吹奏楽をしている女性の方が、何処を見て叩けばいいか考えていたそうです。
吹奏楽は、指揮者を見ながら演奏するので合わせることが出来ると、、、
太鼓を叩きながら、下を叩く人の姿を見ながら叩いたら良いと、何年も言い続けていますが、やっと分かりやすい説明が出来そうです。
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叩く太鼓の面を見ながら叩くより、指揮者のような下打ちをする相手の動き、バチや肩の動きを見て叩いて下さい。
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良く聴こえるようになるし、一つレベルアップできますよ!!!
24年3月11日
- 「久しぶり」
今日は3月11日、たくさんの人の思いが積み重なる一日です。
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午前中に子供の太鼓があり、弱弱しく叩く太鼓が岡村邸の外で、カルデラの中にいるように感じる山肌に軽く響き、人に伝わっているのかな〜なんて思いながら叩いていました。
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いろんな人が言いますが、八丈太鼓は悲しくも聞こえたりします。
人の心に響きやすいのかな〜?
噂の岡村邸(現在の八丈のよされ会のホームです)を紹介します。
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岡村邸は数年前に岡村さん(おくやま建設の社員)が建てました。
「皆がよさる家(集まる家)にしたいんだ〜」と言って作った家だから、釣り仲間、太鼓仲間、フラの仲間、子供達、飲み仲間のよさるところになっているようです。
23年9月17日
- 「ポジション」
東京よされ会のステージに参加することが決まりました。
やったね!!!
私にとって、すごく嬉しくて、楽しいステージになるかと思います。
気分が良く、ニコニコしながら叩けるステージかと、、、、、、
実は、今からワクワクしています。
とても新鮮な野菜ような気分です?、??????
いつも皆で叩くとき思うし、皆にも話したことあるかと思いますが、
私が最後を叩くとか、上手な人が叩くとか決めないで、今日は誰が叩こうか?なんてノリでやるのが、皆が楽しく出来るかと思いますがいかがでしょう?
オープニングの太鼓も同じですね!
出来れば毎回違う人が叩き、それがよされ会かな?
アドバイスしますので大丈夫ですよ、いいとこどりで、長く叩く必要はないし、、、ね。
23年8月15日 �
- 「きたまだの意味」
下打ちを叩きながら「きたまだ、きたまだ」と声をかけますが、意味を考えたことがあるでしょうか?
楽しく酔って叩きながら盛り上がった時、「まだやめるな、もっと続けろ!」なんて声を掛けたくなります。それが「きたまだ」、「打ちやれ、切やれ」なのです。
最近宴会で叩いていて、変だな〜と思いました。
上を叩いている相手が、終わることが分かっているのに「きたまだ、きたまだ」と声をかけること、、、
余興で叩く八丈太鼓は、終わりが分からない方が楽しいですよね!
23年8月15日
- 「リズムの捉え方」
昨日盆踊りで、学生に教えたことですが、彼のシャバタキの下打ちが安定していません、そこで彼にアドバイスしたことですが、私がいつも体でとっている16ビートの捉え方を進めました。
つまり、リズムは細かくとると安定しませんので、広くとれば安定します。16で捉えることが安定することに繋がります。
皆さん試してみて下さい。
23年8月14日
- 「下打ちを早く、長く叩くには」
叩く手の振り方を最小限にしたり、バチの重さを使いムチのように振ってやること、力まないで力を抜くことです。
意外と簡単に出来ます。
私が叩きながら手の動きを変えて、一番楽なところ、一番叩きやすいところと探したらそこにたどり着きました。
探してみて下さい。
23年7月2日
- 「父島の友達が待っているから、母島が待っているから」第二話
25日、今日は父島返還祭の日です。
以前、母島の矢倉の上に私の手を引っ張って誘ってくれた女性が、父島に引っ越していました。
何でも忘れてしまう私ですが、彼女のことは、大事に大事に覚えています。
今回も声を掛けてくれ、私の家族はどうしたのかと、嫁と2人で叩く太鼓を楽しみにしていたと、優しい言葉を頂きました。
父島返還祭のステージは、子供達の踊りに始まり、南洋踊り、太鼓やバンド演奏、父島は新しい島なので、伝統を守ると言う感じと言うよりも新しいものをどんどんと取り入れる感じで、若者が生き生きしています。そこが父島のいいところかと思います。
いつも楽しい、矢沢永吉のコピーバンドがあります。このバンドボーカルが声のそっくりさんで、いつも最高な味で、会場の若者をのせてくれます。
私も声が嗄れるほど歌い、ノッちゃいました。
今思い出しても、楽しくて、小笠原で矢沢なんて笑っちゃいますね!!
楽しいことは、みんなと楽しみたいと言うのが私の考え方で、早くみんな一緒に小笠原に行きたいと、本当に思います。
楽しい夜はあっと言う間に過ぎて行きました。
26日、母島行きの船に乗り、約2時間半、母島に到着しました。
父島よりも暑く、日中はとても外に出たくないと思う暑さです。
母島でも太鼓友達が迎えてくれました。
母島の太鼓は今は八丈にも少ない「ザグザグ」叩くシャバタキです。
その太鼓を母島の友達と一緒に叩くことが、この小笠原に行くことの私の一つの課題です
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夜になり、歩いて会場まで行くみちは何も変らず、時間はゆったり流れています。
途中、カメの産卵場所やカメの住家となっている砂浜を見ながら向かいました。
村長による世界自然遺産登録の祝う挨拶があり、イベントは始まりました。
母島は自然を守り、八丈島から伝わる文化を守っているように思えます。
そこが母島のいいところかと思います。
23年7月2日
- 「父島の友達が待っているから、母島が待っているから」第一話
23日の夕方いっぱいまで仕事をしながら、嫁と子供に車で送ってもらい、あわてながら底土の港に向かいました。
小笠原行きの出発式は毎年恒例で、私達太鼓のメンバーも公務のメンバーと同じ扱いのため、関係者として、一人一人挨拶します。
なかなか人には理解できないことかと思いますが、仕事場を離れて島を出る私には、公務扱いされることがとても嬉しくて、是非これからも出発式はどんな場合でも行ってもらいたいと思います。
仕事関係の先輩に、「太鼓の上京は加減しろ」と言われ、あきれた顔で「又太鼓か」なんてよく言われます。
まず「ご苦労さま」と言われることは、ほとんどありません。仕事をさぼって遊んでいるように思われているのです。
「今日は何?」と友人が聞くと、横にいたオヤジが、「あいつは旅がらすだよ」なんて、つい最近のことですが言われたことがあります。
ま〜、コンプレックスもあるので嫌に感じてしまいます。
確かに趣味でもあり、仕事とは違う楽しみです。
でもやめたらどうなるか、皆さん、私達の行っている観光の業務をわかっていないと感じます。
ちょっと私の心の内を話していますが、船は無事に底土港を出発しました。
出港して、数時間は揺れもひどく、船内で横たわり、海が落ち着いたら宿題(仕事)をしながら、ほとんど部屋から出ることはありませんでした。
私が太鼓の演奏を請ける条件に、訪れた場所で、仕事をするということを決めてます。
嫌な話ですが、仕事はしないと太鼓は続けていけませんので理解してもらっています。
24日となり、当然、まだ船に乗っていますが、船内の甲板で戦没者追悼式を行いました。
戦争の時代に亡くなった八丈島民を毎年追悼し、30年になるそうです。
私も花と線香、島の焼酎八重椿を海上に捧げました。
お昼前に父島二見港に着くと、出迎えて頂いた村長始め、関係スタッフの方と昼食を食べて宿に入りました。
夜になり、船着待合所にて交流会が始まり、まずは村長挨拶です。
小笠原の村長はいつもながらとても優しい口調で、たくさんの方に気の届いた挨拶をする方で、本当に関心致します。
今回は、世界自然遺産に母島が登録されると言うことで、挨拶にも力のこもったようすでした。とても素敵な村長です。
会場で久しぶりに会った友達、父島は何も変わっていませんでしたが、今回一緒に母島に行こうと話し手いる友達の緒環さんの家族と出会い、近況を聞くと、東日本の震災前に修理工場の仕事をやめて、福島に引っ越す予定であったいろんな話を伺いました。
今となると、引っ越すことを断念することとなり、変わらぬ生活を送っているようでしたが、彼の希望は福島で、友達と農作業をしながら生活することが新しい人生の出発であったようです。
会場での演奏は、一緒に叩こうと誘い、飛び入り参加をして貰いました。
それから二次会三次会と、遅くまで夜の父島を過ごしました。
22年9月28日
- 「リズムキープ」
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音楽を演奏する人のほとんどは、多分、身体のどこかで、無意識にリズムを数えています。
バンドのリズム隊の人は正確にリズムを取ろうと、たくさん練習しているでしょう。
ちょっと難しいかと思いますが、ドラムの人が左足を上下に動かしています。この左足は、リズムを安定させて落ち着かせてくれます。
多分、叩く両手は7割、リズムを安定させて落ち着かせてくれる左足は3割と言った感じで行います。
もし、こんな感じで太鼓を叩けたら、落ち着いてリズムをキープ出来るでしょう。
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単純に太鼓を叩く両手を7割、身体のどこかでリズムキープを3割ぐらいで行えば同じですね。
この割合は正確ではありませんが、私もリズムキープに集中しているかと思います。
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八丈太鼓の上を叩く時に、待ちきれずに早く手を出してしまう方、もうちょっとリズムを知りたい方、このドラムの人が行う左足のリズムキープを覚えて、楽しんで見るのはいかがでしょうか?
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確かに、貧乏ゆすりと似てますね!
22年9月21日
- 「いい、加減」
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太鼓が大好きだから、何人もの友達がいます。
八丈でも東京でも、友達の大半は太鼓関係が一番多いかも知れません。
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太鼓にも流派らしきこだわりはあるようで、家の嫁さんがやっているフラもそう、流派があると、考え方も違い、時には敵になるような気がする。
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八丈太鼓は宴会芸だから、誰もが友達になれた。
沖縄の三線の宴会を想像すると、とても楽しそうだが、八丈太鼓も負けてはいない。
よされ会が、東京で叩いた打ち上げに、養老の滝で、大宴会をしたことがあった。
ショメ節が盛り上がり、全員が立ち上がり、スタンディングハンケショイって感じかな?
他のお客さんもたくさんいたのに、お店の店員さんにも止められず、不思議な時間でした。
やはり宴会はたくさんあった方がいいかな?
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いいかげんなノリ、少し適当な、これがいいかも知れない。
音頭系のうたを手拍子をしながら、宴会の席でで歌ったことがありますか?
電線音頭とか経験のある人は分かると思いますが、ぴったりじゃなくていい、外れてもいい、歌詞が間違ってもいい、楽しければいい、
三線もそんな感じだし、八丈太鼓もそんな楽しみ方が出来るいい、加減の太鼓ですね。
22年9月12日
- 「宴会」
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やー、宴会が毎日続きます。
毎日ハッピを着て叩きに行きます。
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私は、自分が参加する宴会にはハッピを着ていきません。
昨日は私もお呼ばれしている宴会でした。
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宴席に太鼓を用意して、みんなで叩けたらいいなーと思いながら。
島の人ばかりの宴会なので、太鼓もけっこう盛り上がるでしょう。
どう考えても、ほとんどの方が、太鼓を叩いた経験のある人です。
でも、誰かが言う事ですが、「この中で叩ける人は、Aさん、BさんしかいないけどCさんも叩くかな〜」なんて、これって、変ですよね?
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八丈太鼓はみんなが、誰もが参加出来る太鼓なのに、しかも宴会ですよ、おかしいでしょう?
なぜこんな会話が出てくるようになったのでしょう?
誰もが入って叩けない雰囲気、太鼓はステージで叩き、参加して叩くのでは無く、叩いて聴かせるものとなったからかも知れません。
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私が宴会で叩く太鼓は、ステージとは違い、太鼓を叩く時間が、極端に短かかったり、誰か止めてくれないと、いつまでも叩いてしまい、太鼓に穴が空いたことがありました。(嘘ですが)。
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現在八丈は、海遊魚まつりが行われています。
各太鼓の団体で交替しながら、金、土、日、祝日と担当して叩いています。
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海遊魚まつりの太鼓は、みんなで叩いて遊ぶ、聴かせる、参加してもらうと、楽しい雰囲気です。
そこでもやはり、ステージを意識した太鼓が叩かれているでしょう。
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太鼓を楽しんで叩くとき、誰もが参加して叩く雰囲気のとき、ステージと同じ太鼓を叩くだけの太鼓打ちは、八丈太鼓らしく無いですね、叩いて楽しむ時は、肩の力を抜いて、気張らずに、楽しく太鼓を叩きましょう。
22年8月28日
- 「セッション」
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今夜はむしょうにセッションしたい気分です。
太鼓、太鼓!
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「太鼓を奪い合って叩きたい」、子供の頃、大人達が酔っぱらって盛り上がった時に、「どら、我に貸して見ろ」と言って、替わり替わりに叩く、活きの良い太鼓を叩く大人の姿が、好きでした。
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何故だか、ずーと、ずーと、そんな太鼓をやりたいと、心の中で思っていましたが、でも、やっとその思いの訳が、その、やりたい、やりたいと思う訳が分かりました。
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八丈高校を卒業し、都会に出て、社会人として働くようになった私は、ある晩、自宅に帰る途中、かなり酔っていたようで、心地よい音楽につられて、お店に入った事がありました。
その店はジャズ喫茶で、毎晩、ジャムセッションをしているようなお店で、その後、ちょくちょく、その店に通うようになり、私が酔っぱらって音楽にノッているから、そのうち、お店の人が、パーカスの楽器を渡して来るようになりました。
いつの間にか、ジャズやブルースが好きになり、いつの間にか、シャバタキのリズムがスイングと重なっていたかも知れません。
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そこで、本題の答えは、私が暖めて来た八丈太鼓の奪い合い、そしてジャズ喫茶のジャムセッションを同じように感じていたから、つまり、八丈太鼓の中で、ジャズや、ブルースのセッションと同じ事をやりたかったんです。
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良く考えて見ると、宴席で八丈太鼓を奪いあって叩いたスタイルは、セッションであり、
掛け合いであったり、ソロを聴かせる、楽しめる、太鼓喫茶かも知れません。
22年8月26日
- 「リラックス」
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何で、今まで考え付かなかったかと思うことですが、昨日、2回目のステージ前に、隣りでボサノバを弾いて歌っていたのを聴いていました。
少し心もノッて、すごくリラックスすることが出来ました。
そして、とても気分良くステージに上がり、太鼓を叩けたような気がしました。
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これって、単純なことのようですが、意外と大事なことかなぁーて思いました。
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八丈太鼓は、人の感情やその場の状況を感知して、太鼓の色が変わり、表情を変えると思います。
気分がいい時と悪い時では、音色も変わり、本番前に、好きな音楽を聴いてリラックスしたら、そりゃ、いい太鼓が叩けるでしょう?
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皆さんどう思いますか?
22年8月20日
- 「八丈太鼓の特徴が消えて行くのでは」
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八丈太鼓は自由だから難しいのか?
自由だから何でもよいなんてことは無く、
自由だから、たくさんの考え方があると思います。
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最近、六人会を中心として、勇ましい叩き方を好む人がたくさんいますが、そんな六人会でも優しい太鼓を入れた方がいいと考えています。
「善男、シャバタキをやってくれ」と、ステージでトンコを叩くようになりました。
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私は、お年寄りの方の前では、あまり勇ましい太鼓は叩きたくありません。
出来れば、昔風の太鼓を叩いて聞かせたり、叩く相手をするときは、年寄りの太鼓に合う、お好みの下を叩いてあげるようにしています。これは、なかなか難しいですが。
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そんな事や、ステージのオープニング、ステージの取り、宴会の席など、使い分けが出来るのが、八丈太鼓の良いところではないかと思うのですが?
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和太鼓のようで和太鼓では無いような?
と、言っても、私は、よその太鼓をよく知りません、きっとそうではないかなぁーと思っているだけかも知れません。
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和を意識すると、手数が少なくなり、間が多くなります。
洋を意識すると手数や裏のリズムが多くなります。
両方やりたいと思うと、活きな感じがいいかと思いますが、
いかがでしょう。
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八丈太鼓で楽譜を作って叩くと言うことは、八丈太鼓から、離れていくのでは無いかと、自由とは言え、自由のはき違えじゃないかと? これが正解だと決めることは出来ないけれど、誰かが考え、守らないと、昔の叩く下拍子や、その呼び名、アドリブで叩くこと、叩く自由なスタイル、自由な合いの手、八丈太鼓の特徴が消えて行くのでは無いかと心配です。
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私もわがままですが、八丈太鼓は音楽であって欲しいから、リズムもきちんと勉強してもらいたいし、色を出すことで、限りなく音楽になるかと思います。
22年6月16日−2
- 「ケニー遠藤と会えた」
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ハワイ滞在の私のスケジュールは短く、どうも貧乏性で、仕事をしなくてはいけないと、自分で自分のスケジュールを組んでいる私は、ついつい厳しいスケジュールを組んでしまいます。
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マウイ島を後に、ホノルル行きの飛行機に乗り、およそ30分ぐらいで空港に着いた。
今回の旅も、いよいよ終わりとなり、又、いつもの現実が近づいて来る
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今回の太鼓の依頼に同行している、隆さんとスケジュールが1日違う私は、2時間過ぎには、成田行きの便に乗らなくてはならない、慣れない搭乗手続きなので、隆さんと別れて、早めの搭乗手続きをする予定であったのだが、航空会社が違うため、一旦外に出て、隆さんを迎えにくる、ケニー遠藤の奥さん、ちずこさんが来るのを待つことになった。
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ちずこさんに会うのは10年ぶり、日本でのコンサートでお会いした以来、それ以前にもケニーさんが行うステージやワークショップやホームパーティーで暖かく迎えて頂いたことがあり、たくさんの恩義を返さなくてはと、心に申し訳ないとうしこりが残っていた。
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しばらくすると、それらしき車が近づいて来た、何と、運転していたのはケニーさんだった。車を降りると、すぐさまに「奥山さん、元気ですか?」と笑顔で迎えてくれた。
心が温まる感じがした。
それから空港内の茶店で、家族と皆でお茶を飲みながら、当時の楽しいホームパーティーの話をしたり、互いの近況の話など、楽しい会話はあっという間に過ぎた。
成田行きの搭乗手続きをして、10年ぶりに会ったお二人と、その家族と別れ、日本行きの便に乗った。
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ケニーさんは少し体格が変わり、太ったように思えましたが、それよりも、髪が真っ白となり、10年の歳月を瞬間に感じてしまいました。
22年6月16日
- 「ハワイからのメール」
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太鼓を叩きに来たはずなのに、この国の暖かい気候、人の温かさに囲まれて、演奏に来たことを忘れています。
太鼓を叩くと言うよりも、ゆったりした休日と、たくさんのおいしい食事を食べに来たと言う感じがして、この国の人は、家族のように集まり、家族のように付き合い、こうして友達を大事にし、心から愛いし合える友人になるという感じでしょうか?
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「ハハ、ハハ、ハハ、ハハ、」これは今、私が一番感じているハワイ語、マウイの音。
本当なら、太鼓の音が、一番耳に残るはずだが、とにかくハワイの方々皆さんの腹を抱えて笑う音が、明日にはここを去る、私の耳に、一番残りそうです。
英語が話せ無いので、人観察している時間が多くなり、楽しそうな現地の方の、大きな笑いを観察しています。
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そう言えば、私が社会人としてスタートし始めた頃、私は、建築現場で働いていました。
ある日、監督の態度が違うことに気が付きました。
どうも私の笑い方が気に食わないらしく、彼は、私から少し離れるようになりました。
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元来、奥山家は馬鹿笑い一族で、私は水戸黄門笑いと言ってますが、「ハハ、ハハ、ハハ、ハハ、」と、多分、周りの人はあまり良い印象をもたないようです。
悪印象であると感じた時をきっかけに、私は、馬鹿笑いを極力しないようにしました。
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でも今回、マウイの方々が、大きな笑いをしている姿を見て、ここはゆったりした平和な国だ、かなり好印象を持ちました。
22年3月10日
- 「前略、お元気ですか?」
「小笠原から戻り、数日立ちますが、どう言う訳か小笠原病が抜けません。」 と書いて手紙を出せなかったのは、昨日のようですが、もう少しで1年経ちますね。
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あの時、どう言う訳か小笠原が恋しくて、恋しくて、、
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あっと言う間に過ぎてしまい、なぜか、毎日、小笠原のことが頭から抜けませんでした。
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船に弱い私が、船酔いがあっと言う間に直り、船に乗った時間は短く感じてしまい、どうも調子がおかしく、ホームシックて、こんな感じだろうかと疑問に思っていました。
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そして、小笠原ホームシックから抜け出すのに1ヶ月は掛かっただろうか?
なぜだろうと考えた時、太鼓で爆発出来なかったか、何か、小笠原の深さを大きく感じてしまいました。
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小笠原の人に小笠原の魅力を聞きたいし、小笠原の話を、もっともっと、いっぱい聞きたいと思う。
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あと数ヶ月で6月、又、小笠原丸が来る日が近づいて来ます。
今年も行けるだろうか?